ムーちゃんのアクシデント

 

ムーちゃんのお気に入りのハウス、赤ちゃん用のキャリーにて

 

病気 
ムーちゃんは、1歳になった頃大病を患った。病名はむずかしくて忘れてしまったが、子宮に膿がたまり出血がひどく、本当に死んでしまうかと思ったほどである。原因はおそらく、オシッコの時にばい菌が入ってしまったのでは?ということだった。最初はついに発情が来たと思ったが、ものすごい勘違いで、まさか命に関わることになってしまうなんて、予想できなかった。あまりの出血の多さにぐったりして、動けなくなり、日曜日にもかかわらず慌ててかかりつけの獣医さんを呼びに行った。しかも、獣医さんの外出先まで。それくらい、焦っていたのだ。おおげさかもしれないが、一分一秒を争う状況にとはこのことである。実際のところも、事実かなり危険な状態だったらしい。ムーちゃんは即、入院。緊急手術をすることになった。結局症状が重く子宮を取り、そのかわりに一命は取り留めたのである。かわいそうに、ムーちゃんは1歳にして「おなべ?」になってしまった。そして、ムーちゃんにとっては何よりもつらかったのは、1週間の入院生活。それまでは家の中でお姫様だったから無理もない。迎えに行った時のうれしそうなムーちゃん、態度とは対照的にからだはやつれていた。からだは回復したものの、精神的にはかなりまいっていたようだ。それ以来、ムーちゃんを獣医さんやペットホテルに預けるとこは極力さけることになる。1度の例外を除いては・・・。それはまたの機会に。
骨膜剥離  1
ムーちゃんは今年の2月、足をけがしてしまった。この日は実家に親戚が集まるので、庭につながれていた。夕方の散歩に出かけようとした時、ムーちゃんのものすごい悲鳴が聞こえ慌てて庭に出た。そこには、痛々しく片方の後ろ足をひきずるムーちゃんの姿があり、足に触れると再び悲鳴をあげた。いったい何が起きたのか、まったく見当がつかない。今日に限らず、お天気の良い日はひなたぼっこをかねて庭にでている。この痛がり方は尋常ではない。日曜日ということもあり、1日様子をみて翌日朝イチに獣医さんのところへ行った。ムーちゃんは良くなるどころか返ってひどくなり、足をつくことはもちろん歩くこともできない。みんなが、心配でたまらない。どこがどう痛いのか、わかってあげられないのがもどかしい。獣医さんの診断の結果、骨には異常がなく、筋を傷めたにでは・・・だった。結局、痛み止めのお薬を頂いて、何日か状態を見ることになった。この時も、お薬を飲ませればすぐに良くなるだろうと、誰もが思っていたのである。
骨膜剥離  2 
ムーちゃんの状態は1週間を過ぎても、回復の兆しが見えない。その間、薬を換えても無駄だった。かかり付けの獣医さんは、レントゲンでは骨の状態しかわからないので、もっと設備の整った知り合いの獣医さんを紹介するからと言ってくれた。その獣医さんは、動物の整形外科ではかなり有名な先生についていたそうで、腕もかなりのものらしい。ただ、家からはどんなに急いでも1時間はかかってしまう。ムーちゃんが車での移動に耐えられるかが、問題になった。しかし、少しでも足の痛みが和らげば・・・という気持ちと、つらそうなムーちゃんを何とかして欲しい一心で紹介された獣医さんのもとへ向った。事情のわからないムーちゃんは、足の痛みを忘れドライブを楽しんでいた。これが、ムーちゃんとの最後のドライブになってしまった。その時は、予想もしなっかったが・・・
骨膜剥離  3 

獣医さんのところでは、まずC・T?のようなもの(専門的な名称がわからない)で、足の骨はもちろんそれ以外の部分を調べることになった。今までの経緯を説明して、私と夫は待合室にもどった。しばらくして、診察が終わり獣医さんに呼ばれた。診断は関節の「骨膜剥離」。私は初めて耳にする「骨膜剥離」なるものの正体がまったくわからない。すかさず夫がメモを取り始め、「骨膜剥離」の説明を受けた。「骨膜剥離」とは、関節と関節の間にある薄い膜が何らかの強い刺激によってひびが入ることをいうそうだ。庭にいたムーちゃんの状況から推測して、つないでいた鎖が足にからまったのではないかと思う。事実はムーちゃんしかわからないが・・・ここで問題となったのが、治療法である。本来は、添え木をして足を固定するか、テーピングをして固定するかどちらからしい。しかし、この2つの方法は足の短いブルドッグには不向きで、結局のところなるべく足を動かさない(歩かせない)しかないということだ。とりあえず、新しい薬を頂いて、家路についた。私はどこが悪いのかはっきりしただけでも、よかったとこの時は思っていた。

闘病
ムーちゃんは足を傷めてから、安静の日々を送ることになった。お散歩はドクターストップ。トイレ以外はなるべく歩かせないようにとの指示がでた。お散歩が大好きだったムーちゃんにとって、お散歩ができないのはストレスになり、ひとり?にしておくと機嫌が悪くなった。仕方なく、みんなが集まる居間のTVの横をハウスの置き場にした。ムーちゃんは孤独が大嫌い、誰かの顔が見えていれば安心なのである。その後、ムーちゃん自身も体重を支えるのがたいへんで、あまり動かなくなった。問題はムーちゃんの体重。この時22s、足にはかなりの負担がかかる。単純な考えだが、少しでも体重が減ればらくになるのでは・・・ダイエットをした方が良いのだろうか?獣医さんとも相談した結果、ダイエットは無理という結論に達した。その理由は、ダイエットによってさらにストレスが増えることもあるということだった。それでなくても、お散歩をやめ、間食をやめ、生活の中でいくつもの制約ができた。その上、ごはんを減らすのはムーちゃんにとっては、耐えられないに違いない。そして、ドッグフードを変えるのも当分は見送ることにした。食べ慣れないドッグフードに無理やり変えて、返って食べられなくなる方がリスクが大きい。食欲までなくなって、体力が落ちては、取り返しがつかない。今は、ムーちゃんのことを1番に考えるべきなのである。ダイエット計画がなくなり、ムーちゃんもほっとしたことだろう。嫌なことばかりの闘病生活で、ムーちゃんが喜んだことがひとつだけある。それは通勤?が車になったこと。ムーちゃんは、実家の自宅とお店を我々と一緒に毎日移動、つまり通勤していた。車を門の前につけ、玄関からムーちゃんをだっこしてきて乗せる。歩くと2分だが、一方通行なのでミニミニドライブになる。ただ、ムーちゃんは体重があるから、ムーちゃんの足が治る前に我々の腰が悪くなるなんて冗談を言っていた。が、我々の腰がどうこうなる前に、ムーちゃんがいなくなってしまった。後から思うと、ムーちゃんがみんなに迷惑がかかるから・・・と返って気遣いをしたような気がしてならない。
最後の朝
この日もいつも通りの朝だった。2月の終わりにしては、静かで暖かい朝だった。この1週間夫の出勤が早かったので、私がムーちゃんの世話をサポートしていた。これは、偶然とは思えないことだった、後から思うと・・・。ムーちゃんはトイレを済ませ、お迎えの車に乗りこんだ。相変わらず、足は痛そうにひきずっているが、元気はある。家の中に入るため、私にだっこされ、からだと足を拭いてもらうと気持ち良さそうにしていた。ムーちゃんは居間に移り、みんなと一緒にごはんを食べ始めた。(足を傷めてからムーちゃんのハウスは居間の一等地に陣取っていた)食欲はあり豪快な食べっぷりで、こぼしたドッグフードをきちんと?拾って食べていた。ムーちゃんはすごいスピードでごはんを食べるので、誰よりも先に食べ終わりTVを見ていた。その横で私は新聞を読んでいた。とその時、バタンと大きな音がした。一瞬何が起きたのかわからなかった。目の前には、さっきまで元気にしていたムーちゃんが倒れている。「ムーちゃん!!」みんなが一斉に呼んでも反応がない。ムーちゃんが死んじゃう・・・ムーちゃんの回りに集まり、さらに「ムーちゃん!!」と声をかけ続けた。ぐったりしていたムーちゃんが、起き上がろうとした。が、わずかに頭を起すのが精一杯ですぐにまた倒れてしまった。とにかく獣医さんを、と思い電話をかけたがつながらない。とるものもとりあえず、私は獣医さんを迎えに行った。早くしないと!・・・、気持ちだけが焦っている。5分の道のりがやたらと長く感じる。状況を説明し、獣医さんを助手席に乗せて戻った。しかし、駄目だった。獣医さんに診てもらった時にはすでに旅立っていた。獣医さんは心臓発作らしいと言った。涙があふれ、止まらなかった。さっきまであんなに元気にしていたのに、どうして!悪い夢を見ているような気がして、信じられない。今にもスーッと起き上がりそうなのに・・・実にあっけない最後だった。

 

それから・・・1
ムーちゃんがいなくなって、私達はちょっとしたペットロス症候群になっていた。あまりにも存在感があったためと、あまりにもあっけなくいなくなってしまったからだ。しばらくは、家族みんなが落ち込み、家の中も暗かった。ムーちゃんがいなくなって半年、何かのかたちでムーちゃんのことを残したいと思ったのがこのHPの始まりだった。
それから・・・2
ムーちゃんは、あれから実家のご先祖様が眠るお寺の一角で暮らしている。その場所には、以前実家で飼っていた猫のピーちゃんや親戚のブルドッグのエバちゃん、ラブちゃんもいる。たくさんの仲間達と楽しく遊んでいるに違いない。寂しがり屋のムーちゃんにとっては良かったと思う。ひとりぼっちではムーちゃんのことだから、きっと耐えられなかったかもしれない。
早いもので・・・

ムーちゃんが天国へ旅だってから1年。こうして改めて振り返ると、とても早かった。悲しくて寂しかったあの頃が、とても昔のことのように思える反面、あの朝のことは今でも鮮明に覚えている。そればかりでなく、ムーちゃんとの生活も。いくら時間がたっても、ムーちゃんのことは忘れることはない。それほどムーちゃんの存在は大きかったのだ。でも、今は笑顔でムーちゃんのことを思い出せる。これこそムーちゃんが望んでいることなのだと思う。きっとお空のどこかで私達を見て安心しているだろう。そして命日の今日、みんなでお墓参りに行った。「ムーちゃん元気?こっちは大丈夫!みんなと仲良くしてる?」そんな言葉をかけてみると、ムーちゃんが短い?しっぽ(というかお尻)を振って駆け寄ってくるような気がしてならなかった。